御篠村について

平成二十二年(2010年)時点の広報資料を基に再編

御篠村(みしのむら)は、本県北部の山間に位置する人口約120名の小規模集落であり、 清冽な渓流と段々田に囲まれた自然環境に恵まれております。村の中心には明治初期に建立された御篠礼拝堂があり、鳥居十字を併せ持つ独特の意匠は、 廃藩置県後の社会変化の中で形成された神道と西洋宗教の調和(御篠信仰)を象徴いたします。

御篠信仰は、古来の「天・地・人」の和と、キリスト教が重んじる「隣人愛」とを接ぎ木する形で受け継がれてきました。 祭壇には十字(西の光)鏡(東の魂)を並べ、季節の祈りを通して 「生の営みを光へ返す」という観念を村の倫理として共有してきたことが、最大の特徴です。

生業は稲作と簡素な林産加工が中心で、合祀祭や春季の祈年行事は交流と相互扶助の機会でした。 人口減少の課題はあるものの、礼拝堂の保全調査、口承の記録化、若年層への伝達など、 伝統の維持・継承に向けた取り組みを継続しています。

※本村は小規模ゆえ華美を好みません。静謐の中に祈りを置くこと、訪れる方を分け隔てなく迎えることを、私たちの誇りとしています。

御篠村 年代表

  1. 明治四年(1871)

    廃藩置県に伴う行政再編ののち、御篠の地に村制が敷かれる。

    神道と西洋宗教の礼を併祀する理念が定まり、御篠礼拝堂を建立。


  2. 明治末期〜昭和初期

    農耕・用水・山道の整備が進み、共同体の基盤が安定。

    村独自の祈りと感謝の行事として合祀祭が定着。


  3. 昭和四十年代

    若年層の都市部就労が増え、人口が100名規模へ。

    礼拝・祭礼は継続し、十字と鏡を前に共同祈祷を守り伝える。


  4. 平成期

    礼拝堂の保全と文化資料化の検討を開始。

    信仰文化と生活史の記録化(口伝採録・写真整理)を段階的に実施。


  5. 平成二十一年(2009)

    礼拝堂関連行事の在り方をめぐり、村内で議論が高まる。

    特別儀礼「昇靈禮(しょうれいれい)」が企画・準備される。


  6. 平成二十二年(2010)

    集団自殺により、村民の大半が逝去。御篠村は事実上消滅する。

    (同年以降、地図から消滅)